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2016.12/18(Sun)

ひきこもごも(続

前回につづきます



【More・・・】

これでも父はエンディングノートとやらを用意してて
元気なころから生前整理をしてありました。


それでも。それでもです。
ほんとーーーに大変でした。

葬儀屋さんにもらった冊子には
俗にいう、
やることリストがずらりと書いてあり。
○日以内に、これこれ
○週間以内に、これこれ・・・・


こっからは
ざざーーーーっと飛ばして読んでください。
思い返すと、
今となっては少し笑えますね。


まず息を引き取ったあと往診医へ連絡、診断書の記載、葬儀屋さんへ連絡、事前に購入してあったお墓のお寺さんに連絡、枕経、通夜、告別式のお経の依頼(予約)、県外の親戚16軒へ連絡(兄弟姉妹多い団塊の世代でしたので。汗)祭壇の横に並ぶ親戚の生花・お供え物とその順序決め、葬儀の焼香の呼び出し順決め(葬儀屋さんに紙に書くように言われ軽くめまいがする)、親戚一同の3日分の料理の予約、誰がいつ何時にくるかバラバラでわけわからん!(喪主が聞き取り調査し葬儀屋さんへ依頼)葬儀プランの見積もりと決定、契約、写真の選択(祭壇とウエルカムボードみたいなやつも含め何枚も)、父の職場関係の友人知人へ連絡(これがなかなか全員つかまらないのですよ)連絡した人すべてに(全員初対面なのに)生前父が大変お世話になりまして・・・の挨拶、葬儀代金を銀行から降ろす、翌朝、友引でしたので家族で父と自宅でゆっくり過ごす予定が、予告もなく親戚一同が家に大集合しその接待、昨日電話で説明した通夜告別式の日程をもう一度説明してといわれる、全員座るところがなく急きょ自分らが寝泊まりしていた部屋の掃除。布団をかたずけるなど。葬儀屋さんと打ち合わせもなかなかできず、あっという間に日が暮れる。生花の札に書く親戚の名前の正しい漢字が解らず母と口ケンカ。忙しさのあまりつい母にきつくあたってしまった自己嫌悪で、冷たい父の手を握り泣く。(もう明け方近い時間、明日も通夜で寝れないのに、自分が嫌でそのときは泣きました)翌日は通夜の湯灌(葬儀の前にお風呂にはいるような)という儀式。父は友引の間ドライアイスで処置してもらっていました。私は看護師という立場上、きちんと綺麗な体にしてもらいたいなと鋭い視線を送りつつ湯の温度がぬるくないだろうかと一緒に手伝いを申し出て頭をあらわせてもらえたのだけれど、湯は適温。だけど父の身体が氷のように冷たいため温かいお湯が体にかけると冷水になっていく感覚がすごくショックだった。湯が冷たくないかじゃなくて父がもう氷のようになっていた。湯灌のあとの納棺師さんの死化粧はさすがの腕前に圧巻。痩せこけていた顔もふっくらと血色良い昔の父の顔になっていました。見たこともない立派な着物に着替えて通夜までまだ数時間あるというころ、ちょっと休もうかなとおもいきや。田舎の親戚は集合がやたら早く大集合。人数が多いため控室に入りきらず立って接待。父の遺言で香典辞退にしたものの、なんで受け取らん受け取っての押し問答の末、母が受け取るが一人受け取ったfら16軒全部の香典をうけとらにゃいかん。これがまたお返しが大変だなと思いつついただく。昨日頼んだ花が届いたが親戚名前の漢字が違うとやらで花屋さんに書き直してもらう、葬儀屋さんに謝るが、よくある事なので大丈夫ですよと慰められる。ぐすん。この時点で私の疲労が溜まって来た様子を葬儀屋さんが察し、生花の並ぶ順(単純に兄弟の上から順にというわけにはいかない)を葬儀屋さん自身が親戚に確認してくれて正しい順に並べてもらっていた。(助かりました)だいぶはしょりますが、通夜告別式はこんな感じで気の休まる時間もなくバタバタと経過。そうだ告別式の朝母の携帯の充電が切れて、今から親戚の電話がどんどん来るって――ときに!私がぶち切れる(母の携帯しか連絡窓口はない)葬儀会場からひとりで自宅に充電器を取りに行くが車中であまりの怒りにひとり叫ぶ。でも母も年相応や、仕方ないね。母も充電忘れるくらい接待で大変だったのだ。火葬のあと親戚をみおくり実家へ。家用の祭壇を組み立てるがおとといの大騒動で家中どっちらかっており、掃除掃除。
葬式の翌日から出勤、(地獄や!鬼や!)研修中のため忌引きは一日もない。もう何日寝てないんだろう・・・、今日は何月?何曜日?な感覚でも、友引・通夜・告別式で休み、4月から一日もさぼったりしていないが、単位ぎりぎりのため出勤する。
しかし今日から市役所や、年金事務所、銀行、カードを止める、電気ガス水道名義変更、生命保険手続き、携帯解約などなど公的な手続きが山積み。大きな手続きはおそらく20か30個くらいだが、その手続きのためにそろえる書類をそろえたりするのに、きっとタスクとしては100以上あったと思う。それもほぼ公的機関は平日の9時~17時。そんな時間にかえってこれるはずもなく、また出席時間数を計算して半日だけ休んで母とあちこち手続きに行く。その後は昼休みに電話をかけまくり、夕方や土日の時間外に郵送でのやりとりを繰り返しすこしずつ消化していった。
その間も研修の論文提出など地獄のレポート三昧は続き、どんな教科で何を書いたかももう覚えていないけれど、不合格の知らせがないから最低点でなんとか通ったのだろう。なんやかんや寝不足な毎日をおくりあっという間に四十九日。また親戚一同がやってくる。喪中はがきの準備、香典返し選び(郵送なので住所リスト制作)と法事の引き出物、引菓子を手荷物なので軽いもので(海苔とかあられとか)選びリストに記入する。もう家族だけでひっそりと・・・・でいいやんっておもったけどやっぱり兄弟の別れはきちんとしたいという考えの叔父や叔母の世代。ありがたくその気持ちを受け取ろうという余裕もでてきた。父の療養中もたくさん県外からお見舞いにきてくれた。交流が密な親戚が多いのは本当はありがたいものなのだ。だけど香典はやっぱり辞退したほうが本当によかったかもね、お父さん。。。。苦笑




四十九日を終えて

ある日、テレビで


『がんは幸せな病気である』

とある医師が話していました。


父のがんが解ったとき
今まで仕事で出会った沢山のがんの患者さんの姿をみてきた私は



がんだけは嫌だったのに。。。。


と落ち込みました。


父をはじめ
死ぬときは
ぽっくり逝きたいと願うひとたちが多いなか


こういった考えがあるということを知りました
『がんは死期がわかる幸せな病気であるという考えは世界で根強くある。
死期がわかるからこそ、残された時間で、やりやい事をやり
会いたい人に逢ってお礼や感謝の言葉を伝えたりすることができる。』と


バタバタと怒涛の日々を過ごしてきたあと
少し落ち着いてきたころ
ふと父がいなくなった実感がやっと湧いてきて
寂しさを感じる日々

この言葉に出会いました。


ああ私の考えだけが正しくはなかったんだ。
父は幸せに死んだのかもしれない。

もちろんがんになった事が幸せなのではなく。


死なない人はいない。


だから死ぬ病気ががんだったことが幸せであったのかもしれないと。


その時この言葉をきいた私は
涙が止まりませんでした。



日本人の2人に1人はがんになる。
そして3人に1人は、がんで死ぬ。
そういうデータはもう当たり前なのですが



死期がわかるということ自体は
悲観するだけでなないという考えもあるのだと知りました。




今は日常にもどりつつ
日々、愛娘の笑顔をみながら
身近にある幸せをかみしめて毎日がんばっています。



家族を失うことはとても辛いです
しかし
家で家族を看取ることや
残されたものたちがどうようにどうなっていくのか
とても貴重な経験をしました


私も生前整理をはじめようかな、笑。
エンディングノートには
いつはじめてもよいとされていました
何度でも書き直せるように鉛筆でかくようにと。



とりあえずのこされた、地獄の研修もあと2か月!!
課題は辛いですが
よい仲間もたくさんできました。
この一年はたぶん人生で一番つらい一年だったけど
いろんな人たちとのふれ合いもありました。

今はきっと父が天国から見守っていると信じて
毎日家族との貴重な時間を過ごしています。

一緒に生きてるんだな、、っていう
自覚と幸せをかみしめながら




17:50  |  日常  |  CM(1)  |  EDIT  |  Top↑

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 | 2016.12.30(金) 00:12 |  | コメント編集

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