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2016.12/18(Sun)

ひきこもごも

こんちは。
またご無沙汰です。
昨日から富良野の黒ミサですね
私はいま自宅にいます。(笑

前回の記事は夏でしたね

あれからの毎日は・・・・嵐の渦のにいるような・・・
怒涛の日々でした。



これから家族のことを書きます






【More・・・】


少し前に。
愛する父が他界しました。
最初の主治医の余命宣告どおりかな。
1年。。。弱。
ちょっとだけ短いかな。
前回も少し触れたけど
最期のその時は、住み慣れた我が家で
看取り(みとり)をすると決めていました。

入院中、容体が悪くなり、『もう病院での治療が限界です』と
医師から説明をうけ、すぐさま翌日に家に連れて帰りました。
介護用ベッドの手配やなんやらはすべて後でいいと思いました。
残り少ない日々を、冷たい病院のベッドで
同室者や看護師たちに気兼ねしながら過ごさせたくありませんでした。
父は私の肩に寄りかかりながら、歩いて家に帰ってこれました。

家について、よっこらしょ。と
布団に座った瞬間。
母が
『お帰りなさい』と言いました。

家で死ぬために帰ってきたのだから
決して喜ばしいことではないんだけれど・・・
それでもその言葉を聞いて
胸が詰まるような気持ちになったけど
必死で涙を我慢して
私も、『お父さんお帰りなさい』って言いました。

そのあと訪問診療の医師への手配をしたりバタバタとしたけれど
家族水入らずの生活が始まりました。
亡くなるまでの1週間、自分で看護できました。
体を拭いたり、少しだけ食事を手伝ったり
歯磨きを手伝ったり。
昼間だけ点滴をしたり。
熱や血圧をはかったり。
大好きな落語を聞かせたり。
チビの学校祭のDVDをみせたり。。。。

チビも学校と父の家を往復しながら登下校をして
授業以外の時間はずっと一緒にすごしました。
痛み止めの麻薬がよく効いていたのと、
肝機能がよくなかったので意識がぼんやりしていたので
娘(私)のことはよくわからなくても
チビ(孫)のことだけは最後まではっきりと認識して
孫が話かけると、にっこり笑っていました。
その表情は、痩せて顔中しわくちゃだったけど、
とっても印象にのこってます。



そして数日後、父は静かに息をひきとりました。
最期のその瞬間まで一緒に手を握りしめ
家族全員で見守ることができました。

痛みも苦しみもない天国にたって逝きました。



先にも書いた怒涛の日々というのは
そのあとの話です。
それまでの自宅で介護するという生活は
仕事で慣れていることだったので
全く苦にならなかったけれど

問題はそのあとです





私には、もう少しも悲しみに浸る時間もありませんでした
もちろん眠る時間も。


世帯主が死ぬということは
とんでもなく膨大な手続きがありました・・・・

続きはまたあとで・・・・
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